「自分の決意は大したことない」考え変えさせた2人の留学生
これまでの歩みを教えてください。
両親が病気がちだったこともあり、健康が仕事や生活に大きな影響を与えることを幼少期から肌身で感じていました。そんな原体験が、今の活動につながってきているように思います。
大学卒業後は、縁あってジョンソン・エンド・ジョンソンで働いていました。そこで医療事故防止関連の仕事に携わったことが大きな転機となりました。報道では医療事故を個人の過失としてクローズアップしがちですが、事故の背景にはマンパワーや予算の問題、失敗を認めにくい文化、エラーの芽を見つけても上司に言いにくい組織文化など、一個人の手には負えないシステム的な課題があると直感。そこから、独学で勉強を始めました。そして当時この分野で最先端を走っていたハーバード公衆衛生大学院で学ぶべく留学を決意。数年越しで準備をして、家族とともにアメリカへ渡りました。
ハーバード公衆衛生大学院に留学したことで、どのようなことを学びましたか。
私自身の考え方が大きく変えられたことが、一番の収穫でした。入学前はどちらかというと、医療事故防止や医療機関の経営といったミクロの課題に関心がありました。ところが卒業時には医療政策など、よりマクロな視点で物事を捉えるようになっていました。
何が小野崎さんの考え方を変えたのでしょうか。
2人の留学生との出会いです。1人はアフガニスタンから来ていた30代の女性産婦人科医。寮の部屋も隣同士で、よくいろいろな話をしていました。私より1年先に卒業していきましたが、卒業後はどうするのかと聞いたらすごい迫力でこんな答えが返ってきました。
「私は首相になる。あなたには想像がつかないと思うけど、私の国は医療以前の問題なんです。内戦で電気もガスも水道も、ろくに通っていない。首都カブールは瓦礫の山で、乳幼児死亡率はいまだにとても高い。出産の時に亡くなる母親も多い。多くの国民を救うには、医療以前に国自体を良くしなければならない。だから私は首相になる」
目が覚める思いがしました。実際に彼女は30代でアフガニスタンの保健大臣を務め、現在は同国の国連大使を務めています。
もう1人は、タイから来た20代の男性医師。厳しい授業の最中になんと内職をしていたのです。何をしているのかと聞いてみると、タイの、日本でいう月例経済報告のような経済レポートの農業分野のページを食い入るように見ていました。なぜ内職までしてそれを見ていたかと聞くと、「タイの農村部には貧困層が多く、基幹産業である農業がダメだと農村部の人々の健康にも大きな影響を与える。だから農業を発展させていかないと国民の健康は守れない。だから、医師こそ農業を学ばなきゃダメなんだ」と、真剣に語っていたのです。
彼らの自国を見据える視点、真剣さに、本当に衝撃を受けました。私自身も仕事の傍ら数年かけて受験勉強をして、奨学金を片手に30代半ばで家族を連れて留学したので、それなりの決意をして留学したつもりでした。しかし、人生をかけて国を背負って来ている彼らに比べたら、自分の決意など大したことはないと恥ずかしくなってしまいました。彼らの姿を見て自分自身も、国や国民のため、社会をより良くするために自分の時間を使わなければ――そう考えて帰国後は、日本医療政策機構という民間シンクタンクなどに携わり、社会課題に向き合うようになりました。
今、あまりにも無理をしていないか――国も地球も、私たちも。
ではなぜ今、一般社団法人サステナヘルスを設立しようと決意したのですか。
1点目は留学から帰国後、地方での政治活動や日本医療政策機構で活動していく過程で、日本の行く末を考えると「持続可能性」が極めて重要なテーマだと、ひしひしと感じるようになったことです。
私は三重県出身ですが、そこには東京という日本経済の中心地にいると見えない世界が広がっています。明らかに人口が減り、シャッター街が拡がり、空き家や限界集落が増え、耕作放棄地が荒れ地となっていく――。そんな故郷の風景を見て、どうにかしたい、どうしたらいいのだろうかと考えてきました。
一方で、東京の人の多さは明らかに異常です。私自身は、多くの人が人口の過密な中で生活していくことに、明らかに持続可能性がないと感じてきましたし、少なくとも自分には合わないと感じていました。一人ひとりが本当に自分に合った持続可能なライフスタイルを考え、選択していってもいいのではないかと思っていました。特に新型コロナウイルスで人口密集地の脆弱さが露呈しましたし、超満員の通勤電車で片道1時間もかけて毎日通勤し、朝から晩まで働くという生活スタイルに疑問を感じるようになった人も多いのではないでしょうか。
2点目は、日本の今の医療保険制度や財源は、このまま維持するのはかなり難しいと考えていること。低成長の中で税収も保険料収入も大きな伸びは見込めない中、さらに高齢化と医療技術の高度化だけが進めば支出が増えるばかりです。持続可能な社会保障、特に医療分野の改革をどう進めたらよいのかということも、かねてから考えてきました。言うまでもなく、医療だけで健康を守ることはできません。栄養や運動、雇用、経済、社会インフラ、エネルギーやまちづくりまで、やるべきことは山ほどあります。
3点目はエコの文脈です。個人の暮らしもまちづくりも、もっと環境と共生し自然体で良いのではないでしょうか。また、医療分野の環境負荷をどうやって低減させるのかは、今後とても重要なテーマです。安全性や感染管理の観点から使い捨ての器具や材料も大量に使用しますが、本当にこのままで良いのか。制度の持続可能性とも関連しますが、医療セクターだからといって、何でもかんでも物量作戦の大量消費という発想も切り替えていく必要があります。
このようなことを、ハーバードから帰ってきてからずっと考えていたんです。そして今回、これらの課題を解決するために活動を本格化させようと思い、サステナヘルス設立に至りました。
団体名にも入っていますが「持続可能性(Sustainability)」について、小野崎さんはどのように捉えていますか。
国も地球もそして個人も、今、あまりにも無理をしているのではないでしょうか――。現在の医療制度や財源のあり方、地球資源の確保、そして個人が病気をせずに健康に暮らせるライフスタイルの追求。これらのために、もう少し長い視点で自然や環境と共生し生きていく視点が必要だと思います。そしてこの、無理なく長い視点で自然や環境と共生し健康に生きていく、それを可能にする社会を構築することが、私の考える「持続可能性」です。
ところでメンバーの働き方に特徴があると伺いました。
現在10人程が活動していて、多くがパートタイムです。というのもサステナヘルスの活動分野である公衆衛生や医療政策分野では、専門知識を持っているものの、出産や育児などでその専門性を活用していない「埋もれた人材」が大勢います。本当にもったいないと思います。例えば、海外の博士課程で学んでいる最中でも、その専門性を活かして日本に貢献したいと思っている方もいますし、今は子育てに集中したいけど週に5時間なら働けるという方もいます。そのような人材にどんどん活躍してもらいたいと思い、あえてパートタイムのメンバーを増やしています。
またサステナヘルスの活動の特性上、非常に高い専門性が求められることに加え、必要となる専門分野が多岐に渡ります。例えば、健康的なまちづくりのためのプロジェクトを進める場合、医療や医療政策の専門家だけでなく、社会インフラ、エネルギー、交通、介護予防といった多数の専門家が必要です。そのため、数人のフルタイムメンバーがいてもカバーすることはできません。一方、プロジェクトごとに必要な専門分野に通じたメンバーが参画すれば、我々としては各エキスパートの知見を結集することで価値を提供し、参画してくれるメンバーは、時間や場所を問わず自分の知識やスキルを活用できる。そしてステークホルダーの皆さんにも感謝されると、Win-Win-Winの関係をつくることが可能となります。
小野崎さん自身も、場所や時間を問わない働き方をされているそうですね。
難しいことを考えたわけではなく、単に都会暮らしが合わないだけというのが、そもそもの発端です(笑)。私自身の持続可能なライフスタイルは何かを追求した結果、現在は、千葉県の田畑が広がる郊外に暮らしています。農家の方から畑を借りて、落花生やサツマイモ、マメ類を中心に栽培しています。
一方、クライアントは東京・丸の内の外資系企業や地方の医療機関など、全国に点在しています。テレワークはもちろんですが、自宅のある地方と各地を行き来することも多くあります。移動先で静かな作業スペースを確保するためにワンボックスカーの荷台部分に折りたたみ式デスクと椅子を設置。この車で移動することで、場所を問わずどこでもミーティングや作業を行うことが可能になっています。場所を選びませんから海岸まで車を走らせ、海を見ながらミーティングに参加することもできます。
次世代への責務
最後に、多岐にわたる活動の原動力を教えてください。
今当たり前のように使っている社会保障制度や、水道、道路、エネルギー、治安や文化などは、全て先輩の世代の努力と負担で作られてきたものです。まず、こういった恵まれた社会や環境に対する感謝の気持ちが大切だと思います。そして、これらを子どもや孫の世代にきちんと引き継いでいくのは、我々の世代の当然の責務ではないでしょうか。まさに持続可能な社会づくりを少しずつでも進めていかなくてはなりません。
しかし、こういった長期的な活動にはなかなか財源が割かれませんし、取り組む人も取り組める人も少ないのが実状です。誰かが行動したり、旗振り役をしたりする必要があります。それを誰かがやってくれるのを待つのではなく、政府にお任せするのでもなく、「百の評論より一つの行動」ということで、自ら行動しなくてはと思っています。誰かから頼まれたわけではありませんから、勝手な使命感かもしれませんね。ただ、これが原動力になっているように思います。